2010年01月20日

第32話 パンラマについたけれど....住所がぁ....

チラウからバスに乗りパンラマに向かいます。
横に座っている親子もパンラマに向かうらしい。
こういうときにはすかさず声をかける。

知りあいになって、自分の行き先を話しておくと
いろいろ教えてくれるのだ。ありがたい。

さて、私はスリランカに来るに当たって
忘れ物をしてしまった。
それはパンラマの下宿の住所。

バスステーションから歩いていけるマータラの下宿とか、
警察署のすぐ横のコロンネの下宿ならまだしも
パンラマの下宿は近所に目印が何もないのだ。

とりあえず16年前に通っていた、地区の役所に行く。
そこで周囲の人に聞き込みすれば何とかなるだろう。

バスで隣に座っていた親子は
「役所はこの先だから...」と私に教えて
先に下車してしまったので、
車掌にお願いして、役所の前で降ろしてもらう。

下車した私は、
ぐるっと一周見渡す。
「うーん、こんな感じだったけ...」
記憶とは違う感じの役所の建物に
「ひょっとして移転してしまったのかなぁ」と不安になる。

早速店に入って冷たいジュースを頼み、聞き取りを始める
最初の店では店の人も、お客さんも
だれも知らなかった。

役所の前に雑貨屋さんがあり
よく顔を出していたし、小さな子どもに鶴を折ってあげたりしていたのにな
みんな知らない人ばかりになってる.....

数件目のお店の主人が探してくれる事になった。

下宿は役所からけっこう離れている。
バスで通っていたぐらいだ。はたしてわかるだろうか。
ここに来る日本人なんてほとんどないから
すぐわかるだろうというのは甘い考えだろうか.....

「うーん16年前かぁ..」
「どこだろう、誰々に聞いたらわかるか?」

店の主人は、
知り合いの三輪タクシーの運転手と相談している。

私は、
下宿のお父さんの名前(と言っても愛称)、
メインの道から、下宿に入っていく小道の名前...
覚えている事を話していく。

「あーあー、それなら あの人だ」

知り合いらしく、
早速携帯電話で連絡。
下宿先に直接連絡できなかったが、
住んでいたのはあの人の家だろう
と言うことで、一緒に探してくれた三輪タクシーに乗って出発。

こんな道を進んでいきます。




思ったより時間が掛かり、
「通り過ぎちゃったかも....」と心配になった頃に
着いたところがここ。



左前に見えるのがレストラン。
以前はこんな建物なかったよ~
ましてやレストランだなんて....

写真ではわかりにくいけれど
右に未舗装の道があり、入って行きます。



16年前はこの道を毎日歩いて通っていたんだよなぁ....

そして家に着く。
ちょっと変わっていたけれど この家だ。

三輪タクシーの運転手が、家の人に話をする。
「以前ここにいたらしい日本人を....」
家の奥から、ひとりの若い女性が入ってくる

三輪タクシーに乗っている私を見て指さしながら、

「かれい♂!」

(実際はもちろん本名ですぜ)

おお、名前を覚えている!!

このとき家にいたのは左の女性。
右はお母さんで、このときは出かけていていませんでした。



16年前はこんな女の子でした。
お母さんはココナッツミルク絞っています。



家に入ると見せてくれました。
私が置いていった写真や
後から日本から送った絵本です。



絵本を送ったときに包んでいたいた紙まで残っていて
そこに私の名前がローマ字でしっかり書いてありました。
(って、自分で差出人の名前書いただけだけど(笑))

それで、あんなにちっちゃかった女の子が
16年もたってもフルネームで覚えていたんだなぁ。

下宿はパンラマではなくてセールケレと言うところなんだけど
ほんと、のどかな いいところなんですよ。

次回からは この下宿と周辺の紹介をしようと思います。

  

Posted by かれい♂ at 13:24Comments(2)SriLanka 紀行
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