2013年01月25日

またまた 途上国に物を送る話。

今日もブログをだらだら書くよ。

今日地元の新聞を見たら、地元の高校生がカンボジアにノートを送ったという。これから書くことは新聞に書かれている事を元に書きます。普段は何もしていない私がちょっと感じたことを書きます。

ああ、お叱り受けるかなぁ(^_^;)。

やっている子たちは純粋に喜んでもらおうとして行っているのだろ思う。変な気持ちは無いと思う。ホントにそう思う。だけど書きます。

途上国と呼ばれる国に物を送ることについてはこれまでも何度か書いてきました。

「いわゆる「途上国」と言われる国に靴を送る話」
http://karei.naganoblog.jp/e337735.html


「また、アフリカに服を送る話。 サイトのリンクメモも兼ねて。」
http://karei.naganoblog.jp/e580541.html

やっぱり、途上国に物を送る話を聞くと考えちゃうんです。

今回は使用済みの紙の裏紙を表に出して二つ折りにして、30枚とじ合わせてノートを作ったそうです。で、ふと思ったんです「自分たちで使わないの?」って。 個人的な感覚として、靴でも服でもそうなんですけれど自分たちが使わなくなったもの送るって違和感あるんです。
服や靴はサイズが合わなくなって使用できなくなったって事はあるのでしょうけれど、ノートはまだ使えると思うのです。

この新聞の記事について知人に話をしたら
「ばかにしてるんじゃないの?」
って言ってました。

うまい書き方ができなくて申し訳ないのですが
何か相手を見下しているみたいな感じがするのです。

私たちは新しいノートを使うけれど、貴方たちは物がないから一度使った紙で作ったノートでいい。私たちは使いたくないけど......


何度も書くけれど
この運動をしている人たちは純粋な気持ちでしているのだと思う。そう思うのですが周囲の先生や大人の人たちはこのことについて指摘する人たちはいないのだろうか。

この手の話でよく言われることは
「これを考えるきっかけにすればいい...」

学校であるならば、教育の一環であるのなら、
先生はちゃんと考える指導しているのだろうか。
各個人の感性に任せたきりで
後は個人で考えて下さい....なのだろうか。

もちろん完璧なんてあり得ません。
援助活動って失敗の連続なのだと思う
でもそこでみんな考えながら前に進んできたのと思う。

このノートの運動は2004年から行われて来たらしいけど、
途中で検証は行われて来たのだろうか。
相手が喜んでくれるのだからよいとしているのだろうか。

ああ、又だらだらになっちゃった。

まとめると....

自分が使わなくなった物や使い古した物を(まだ使えるのに、日本国内でもリユースできるのに)海外の貧しい人たちに送ることに違和感を感じる。(見下しているようなイメージ)

作ったノートを自分で使って、新しく買ったつもりで募金するか、学校内で売って売り上げを募金して送れば、現地のお店でノートを買って渡すことができて、お金が現地でまわる。 現地で物を作ったり売ったりして生活している人もいるだろうにどうして物を送るのか。

もう何年も続けているのに、途中で何か意見はなかったのか、学校として教育として指導や助言は無かったのか。有ったけどこのままがいいと言う結論になったのか。




まぁ、私の思っていることが正しいかわかりません。
実際に関わってみないとわからないことも有るのかもしれません。実際に関わるとこのやり方が、現状では最善の行動なのかもしれません。

今回は使用した紙の裏紙を使ったノートでしたが、
ほかにも自分たちが使った靴を送るとか、エコキャップとか
私の感性からは違和感が有りすぎるんですよねぇ。


私は自分でもひねくれていると思っているので
一般の皆さんはどう考えるのか知りたいですね。  

Posted by かれい♂ at 12:55Comments(0)他力本願寺 本堂
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