2013年01月26日
ボランティアを目的にしてしまうと、そこに留まってしまうのかなぁ
前回のブログでは
途上国と呼ばれる国に物を送る話を書きました。
これまでも地元の新聞などで紹介されている活動で
それってどうなの?って思うことが何度か有りました。
学校での活動です。
どうしてこうなってしまうのか
色々原因は有ると思います。
そのうちの一つに「ボランティアをしたい」
という事が有るのではないかと
思うようになりました。
私は「ボランティアをしたい」と思ったことがありません。
少なくとも記憶の中にはありません。
(物忘れがひどいからかな(笑))
一般的にボランティアとされていることや
ボランティアと名付けられた事はしたことがあるんです。
自分が何かしたい、してあげたい、関わりたい、
など目的があって、
今の状況で自分として何ができるか、
どのような形で参加できるか、どこまできるか考えて、
その結果としてボランティアと呼ばれる形態であったり、
ボランティアと名付けられている活動だったりするいただけなのです。
まぁ、こんな事はどうでもよいと考えていました。
でも、最近結構考えるべき内容なのかも
って思うようになりました。
新聞とかインターネットを見ていると
学校に「ボランティア部」とか
「ボランティア委員会」とかあるみたい。
これって、ボランティアを目的とした集まりなのでしょうか。
ボランティアという行動をすることが目的なのでしょうか。
ボランティアをして自分自身に何かした満足を得ることが目的なのでしょうか。
私はよいことをして自己満足を得ることに関しては
あまり否定的ではないのです。
よいと思っているのです。
ただ、行動が目的になってしまって
本来の目的がぼやけてしまう可能性が有るのではないか。
そんなケースが有るのではないかと思うようになりました。
私たちの目的は何なのか
何のために行っているのか
していることは目的を達成できるのか。
継続的に続けるのであれば
常にそれを問いかけながら行っているのか。
どこかの地域である物が足りないとする。
物資を送ろうと考えるのは自然な話。
そして活動します。
でも考えながら行動を続けてゆけば
様々な疑問が出てくると思います。
物を送る活動を続けていってよいのだろうか。
物をただで配ることで現地の経済活動はどうなるのか
お金を送り現地購入すれば、
現地で経済が動き出すのではないか。
いや、簡単には動かないぞ...などなど。
途上国に靴を送ろう
もちろんまだ使用できる靴を送る。
私たちは靴を履きつぶす前に新しい靴を買う。
そして古い靴を送る。
なるべく買い換えたほうがたくさん送れるし
日本の経済も回る。
でも、まだ履ける中古の靴は途上国に送って
日本では新しい靴に買い換える。
これを盛んにする。
こんな消費行動でよいのだろうかと考える。
ペットボトルのキャップを集める。
リサイクルできるから環境によい。
でもリサイクルにもエネルギーは使われるから
捨てられるキャップは少ない方がよい。
でも、たくさん集めるとワクチンが買えて
必要な事も達の命が助かる。
でも目的を整理すれば、
環境のためには排出されるキャップは少ない方がよい。
少しでも多くの命を救いたいのなら
キャップ集めるより、ペットボトル製品を買うのを我慢して、
そのお金を送った方が命はより多く救える。
エコキャップ運動とはどうあるべきか、
たくさん集めることはよいことなのか。
途上国に使った紙でノートを作っておくる。
自分たちが使った物をおくる。
確かにもらった人は喜んでくれるかも。
送る側ともらう側の関係を考える。
こちらは新しい物を買って使い、
まだ使えるのに相手におくる。
もらう側は相手が使わなくなった
使いかけや、再生品をもらう。
そのような関係でよいのか考える。
南北問題は途上国を発展させるだけが問題ではない
先進国と途上国との関係はどうなっているのか
私たちの暮らしとどのように関係しているのか
などなど、考えることはたくさんある。
もし学校で教育の一環としておこなれてるので有るのなら
最初に始まった行動から
何を築き、何を知って、何を目指すのか
子どもたちをどのように導いているのだろう。
きっかけはいろいろあって
行動に起こすことは素晴らしいことだ。
それは素直に凄いと思う。
でもね、その気持ちを大切にしたまま、
更にもう一歩進んで見たらどうだろう。
インターネットを見ていると
自分たちのしている活動に疑問を持って
調べて、考えて、活動が変化していく所もある。
受賞論文【優秀賞】「エコキャップ「運動」をやめた我がクラス」
http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/guide_univ/e10_03_09_04_j.html
継続してゆくことは大事
でも変化してゆくことも大事。
「何かボランティア活動をしよう」と考えることが
出発点でもかまわない。
活動を進めていて、活動自体で満足せずに
本当にこの活動は意味があることなのだろうか
ひょっとして相手に役に立っていないかも
迷惑になっているのかも。
目の前では役に立っていても、
もう少し広い視点でみたらどうなのだろうか。
そんなこんな考えて
今やっていることが正しければそれでよし。
もし間違っていても変えてゆけばよいのだ。
いけないのはそこに留まってしまうことなのではないだろうか。
途上国と呼ばれる国に物を送る話を書きました。
これまでも地元の新聞などで紹介されている活動で
それってどうなの?って思うことが何度か有りました。
学校での活動です。
どうしてこうなってしまうのか
色々原因は有ると思います。
そのうちの一つに「ボランティアをしたい」
という事が有るのではないかと
思うようになりました。
私は「ボランティアをしたい」と思ったことがありません。
少なくとも記憶の中にはありません。
(物忘れがひどいからかな(笑))
一般的にボランティアとされていることや
ボランティアと名付けられた事はしたことがあるんです。
自分が何かしたい、してあげたい、関わりたい、
など目的があって、
今の状況で自分として何ができるか、
どのような形で参加できるか、どこまできるか考えて、
その結果としてボランティアと呼ばれる形態であったり、
ボランティアと名付けられている活動だったりするいただけなのです。
まぁ、こんな事はどうでもよいと考えていました。
でも、最近結構考えるべき内容なのかも
って思うようになりました。
新聞とかインターネットを見ていると
学校に「ボランティア部」とか
「ボランティア委員会」とかあるみたい。
これって、ボランティアを目的とした集まりなのでしょうか。
ボランティアという行動をすることが目的なのでしょうか。
ボランティアをして自分自身に何かした満足を得ることが目的なのでしょうか。
私はよいことをして自己満足を得ることに関しては
あまり否定的ではないのです。
よいと思っているのです。
ただ、行動が目的になってしまって
本来の目的がぼやけてしまう可能性が有るのではないか。
そんなケースが有るのではないかと思うようになりました。
私たちの目的は何なのか
何のために行っているのか
していることは目的を達成できるのか。
継続的に続けるのであれば
常にそれを問いかけながら行っているのか。
どこかの地域である物が足りないとする。
物資を送ろうと考えるのは自然な話。
そして活動します。
でも考えながら行動を続けてゆけば
様々な疑問が出てくると思います。
物を送る活動を続けていってよいのだろうか。
物をただで配ることで現地の経済活動はどうなるのか
お金を送り現地購入すれば、
現地で経済が動き出すのではないか。
いや、簡単には動かないぞ...などなど。
途上国に靴を送ろう
もちろんまだ使用できる靴を送る。
私たちは靴を履きつぶす前に新しい靴を買う。
そして古い靴を送る。
なるべく買い換えたほうがたくさん送れるし
日本の経済も回る。
でも、まだ履ける中古の靴は途上国に送って
日本では新しい靴に買い換える。
これを盛んにする。
こんな消費行動でよいのだろうかと考える。
ペットボトルのキャップを集める。
リサイクルできるから環境によい。
でもリサイクルにもエネルギーは使われるから
捨てられるキャップは少ない方がよい。
でも、たくさん集めるとワクチンが買えて
必要な事も達の命が助かる。
でも目的を整理すれば、
環境のためには排出されるキャップは少ない方がよい。
少しでも多くの命を救いたいのなら
キャップ集めるより、ペットボトル製品を買うのを我慢して、
そのお金を送った方が命はより多く救える。
エコキャップ運動とはどうあるべきか、
たくさん集めることはよいことなのか。
途上国に使った紙でノートを作っておくる。
自分たちが使った物をおくる。
確かにもらった人は喜んでくれるかも。
送る側ともらう側の関係を考える。
こちらは新しい物を買って使い、
まだ使えるのに相手におくる。
もらう側は相手が使わなくなった
使いかけや、再生品をもらう。
そのような関係でよいのか考える。
南北問題は途上国を発展させるだけが問題ではない
先進国と途上国との関係はどうなっているのか
私たちの暮らしとどのように関係しているのか
などなど、考えることはたくさんある。
もし学校で教育の一環としておこなれてるので有るのなら
最初に始まった行動から
何を築き、何を知って、何を目指すのか
子どもたちをどのように導いているのだろう。
きっかけはいろいろあって
行動に起こすことは素晴らしいことだ。
それは素直に凄いと思う。
でもね、その気持ちを大切にしたまま、
更にもう一歩進んで見たらどうだろう。
インターネットを見ていると
自分たちのしている活動に疑問を持って
調べて、考えて、活動が変化していく所もある。
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http://www.chuo-u.ac.jp/chuo-u/guide_univ/e10_03_09_04_j.html
継続してゆくことは大事
でも変化してゆくことも大事。
「何かボランティア活動をしよう」と考えることが
出発点でもかまわない。
活動を進めていて、活動自体で満足せずに
本当にこの活動は意味があることなのだろうか
ひょっとして相手に役に立っていないかも
迷惑になっているのかも。
目の前では役に立っていても、
もう少し広い視点でみたらどうなのだろうか。
そんなこんな考えて
今やっていることが正しければそれでよし。
もし間違っていても変えてゆけばよいのだ。
いけないのはそこに留まってしまうことなのではないだろうか。
動けるようになったので......
選挙の投票率って低くちゃいけないっすか。
リニアに関してあれこれ
やらまいか意見箱ウォッチャー
家にDVD届いていました。
飯田市危機管理・交通安全対策室のフェイスブックページができたよん
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Posted by かれい♂ at 13:05│Comments(0)
│他力本願寺 本堂