今日は成人の日。20年前を振り返ってみた。

かれい♂

2013年01月14日 11:13

今日は成人の日。

成人の日のことに関しては置いておいて
今日成人式の対象となる方が生まれた年に私が何をしていたか振り返ってみます。

さて、何年かと言いますと
某地方公共団体のウェブサイトを見ますと
「平成4年(1992年)4月2日~平成5年(1993年)4月1日までに生まれた方」と書いてありました。

1992年というのは、日本でどんなことがあったとかよくわからないのですが、自分の事に関しては他の年に比べて結構覚えているのではないかと思っています。

その前後の出来事も1992年前後の出来事として覚えています。

以下、すべて記憶にあるだけで書いてゆきます。
4月に駒ヶ根にある青年海外協力隊の訓練所に入ります。

さかのぼりますが、1991年に婚約、破談(以後彼女いない歴が今日まで続く(笑))。
そして秋に協力隊応募、1次試験、2次試験、三月に合格通知が来て任国(スリランカ)も決まり、1992年4月より隊員候補生として訓練を受ける事になったのです。

元々語学が苦手で、勉強も嫌いな私ですが
何とか訓練中の試験に合格して6月末に訓練終了。
7月にスリランカに赴任になりました。
バロセロナオリンピックの開会式は、
現地研修中にコロンボのゲストハウスで見ていました。

8月に任地であるスリランカの田舎に赴任したのであります。

ちなみに前年破談となった相手は、
私が隊員候補生として合格した頃、他の方からプロポーズを受けてほぼ決まり。
私が任地に赴任した8月に、彼女は結婚と、
お互い同じ時期に転機を迎えそれぞれの道を歩み始めたと言うことで面白いなぁと思っておりました。

そんなこんなで、バスで3時間以上移動しないと他に日本人がいないスリランカの田舎で下宿を始めました。







問題もありました。
秋に応募したので忘れていたのですが、訓練終了時に夏になり熱くなり、思い出したのが
「私は厚さに弱い!」
そして、任地に着いて
「俺外国の人苦手だったんだ...」
さらに
「俺って寂しがりやなんだよねぇ」

少し頑固なところもあり、
ちょっと心を閉ざし気味で
ガードを堅くしていたこともあり

今になってみたら、
現地の人たちに迷惑かけたなぁ..
とか
もっとオープンな心持ってたらなぁ
って、今でも反省しております。

そんなこんなでもスリランカの田舎生活は続き、
昼間は同僚と井戸や道路や水路の工事現場を回り、
夜は本を読んだり、
大晦日は短波ラジオで紅白歌合戦を聞いたり
日本の元旦は、スリランカでは正月ではなくて
いつも通りの暮らしをしておりました。

年が明けてしばらくした1月の中旬、
任地が変更になりました。

1回コロンボに帰ってきてから
しばらくして次の任地が決まる。

引っ越し先は南の方から、ちょっと北の方へ
気候もちょっと違うところ。

下宿の前の道



電気が無くランプ生活。 
夜は360度人工的な光は見えないところ。
土を掘っただけの井戸で水を汲み
水浴び、洗濯。

洗濯と言えばずっと手洗い。
スリランカ滞在中数回の引っ越しをしましたが
必ず荷物に含まれていたのが洗濯たらい。
シーツとかの大物もあったので
足で踏んで洗ってました。

下の写真に写ってますね。
私の洗濯たらい。



子どもたちはかわいくて
お父さんはいい人で
お母さんのご飯は美味しかった。

ご飯の支度をするお母さん



毎日飼っている牛のミルク飲んでた。
いい所でしたよ。

そんな1年でしたねぇ。
ちょっと振り返ってみました。
もう20年も経つのかぁ。

関連記事