ヒョー越はどうしてヒョー越なの?
たまに、ふと思うときがあるんです
長野県と静岡県の県境にある「兵越峠」の名の由来。
今は...たとえば国土地理院の地図を
インターネットで見てみると
「兵越峠」となっています。
しかし10年ぐらい前の 公に許可を取って
国土地理院の地図の複製して作成された
南信濃村の地図では「ヒョー越」となっている。
なぜ「兵越峠」なのか、
インターネットを検索してみると
武田信玄が通った...あるいは
武田軍の一隊が通った事に由来する。
と書かれたものが多い。
私は以前インターネット上で
「武田軍が通ったからではない」
と書かれているのを見たことがある。
そして誤った解釈が広がってしまうのはよくない
みたいなことが書いてあったと思います。
武田軍説は、誰とも無く言い出した説だと
どこかのページに書かれたのを他にも
何回か読んだことがあるのですが、
もうどこに書いてあったのかわからず
今では探してもみつかりません。
まぁ、「一説によると」...とか
「言われている」と書いてしまえばそれまでですが、
武田軍通行説には根拠があるのでしょうか、
文献とか、郷土史家の人が調べたら古くから言われていたとか、
仮説にしても、誰がどんな理由で唱えたかはっきりしているとか。
「信州の杣山を伐採する労働者が越えたのでヒョー(日雇い)越峠とつけられたという説もある。」
「境界を示す木を標(ヒョウ)と呼んた。分杭峠の分杭と同じである。峠が国境や村境であることが多かったために、ヒョウが峠の呼称に転用されるようになった。」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/chimei.html
などとか
「長野、静岡県境にある「ヒョー越」の「ヒョー」とは境界の「標識」の意味か、「ひよる」からきており、「曲がる」「撓む」という意味だ。」
http://baba72885.exblog.jp/m2007-10-01/
とか
「柳田國男『地名の研究』より
柳田國男の『地名の研究』の中に、「峠をヒョウということ」という論考があります。これを読めば「ビョウ」の謎は解き明かされます。」
http://homepage3.nifty.com/tougepal/chiba.htm
などなど、峠の事をヒョウと呼ぶこともあるそうです。
ここから先は、ちゃんと文献を当たらないといけないのでしょうね。
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