スリランカフェス、会場の端で騒ぐ若者達。
日曜日に行ってきましたスリランカフェス。
スリランカフェスの目玉の一つは
なんと言ってもスリランカカレー。
カレーを購入すれば座って食べるということで
テーブルはすぐ一杯になってしまいます。
座れない人たちは
ブースの外側の空いた場所で食べたり飲んだり
休憩したりしています。
私も座って休憩していたら
スリランカ人の若者達が
太鼓叩いたり、歌を歌ったりしておりました。
端の方に座っていたスリランカ人に
「これ、スリランカの歌なんですか?」と聞く。
歌を聴いていれば、意味はちゃんと聞き取れなくても
シンハラ語だと言うことはすぐ解る。
でも、会話のきっかけを作るために聞いてみる。
彼らは日本に来て数ヶ月。
日本語はうまく話せない。
私もつたないシンハラ語を混ぜて話す。
すると、シンハラ語で聞いてくる
「シンハラ語を話すことが出来るの?」
「シンハラ語がわかるの?」
わたしは、
「シンハラ語はわかんないよ~」
と、
シンハラ語で答える。
するとスリランカ人達はニヤニヤし出して、
「こいつシンハラ語 話せるぞ~」
と周りの人たちに教え出す。
よし、つかみはOK (笑)
他の人から
「スリランカに行ったことがあるのか、シンハラ語はなせるのか」と聞かれる。
すると私は、
「ほんの少ししか話せないよ」
「スリランカにいたのは、すごーく前だから、忘れちゃったよ、単語が出てこないよぉ~」
とシンハラ語で答える。
正しいシンハラ語かは別にして、すらすら答える。
すると、
「おお、シンハラ語がじょうずだ」
とか、 冗談で
「俺達より上手だ」言ってくれる。
そりゃすらすら話せるさ、いつも同じこと言ってるから(笑)
でも、ここまでだけど (^_^;)
そして、一緒に踊れ!とか
シェイカー振っていると
親指たてて、「いいぞ」とばかりのジェスチャ-してくれる
車で来られるような所ならなぁ
スリランカで買ったドルキードラムや
ジェンベやシェケレやロートタムとか持って来られるんだけどなぁ。
来年はちっちゃな鳴り物があったら持ってこよう(笑)
ここに集まっている若者達、
住んでいるところは、関東とはいえみんなばらばらだ。
こんな時にしか集まれないから、
せっかくの機会、思いっきり楽しむのだそうだ。
近くにいたグループも合流し、
近くで見ている日本人女性も招き入れて一緒に踊る。
盛り上がってきたとき
ひとりの男性がみんなに何か話し始めた
みんなが歌や演奏をやめて静かにする。
うまく話せない日本語で私に説明する。
「今は静かにしなきゃいけない」
「何もしないようにしなければいけない。」
私はさっぱりわからなかったが
ハッと思い出して時計を見た。
14時44分頃だった。
そう、震災から半年、9月11日。
後でネットニュースで確認した
「震災半年、スリランカ大使らも黙とう 「ガンバロウ」」
http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY201109110122.html
彼らはこの黙祷の為に静かになったのだ。
近くにいた若い日本人が
みんなが静かになったときに言った言葉
「騒ぎすぎて注意されたんだな」
うーむ、
津波の被害を受けた経験を持つスリランカ。
本国から義捐金送ってくれたり、人員送ってくれたり、
日本にいるスリランカ人も炊き出ししてくれたりしてくれた。
以前にブログに書いたけど
先日協力隊の訓練所に行ったとき
隊員候補生に「私たちに変わってありがとうと言ってきてください」
とお願いした。
世界中に感謝しないといけないよね。
世界中で援助してくれたり、祈ってくれたりしてくれたんだから。
でもさっきの日本人も
言ってあげれば、すぐに気づいたと思うんだ。
俺も近くにいた人たちに声をかけて
みんなで黙祷すれば良かったと反省してる。
堅い話はこれくらいにして、
イベントのエンディング。
メインのステージにみんな集まって歌ったり踊ったり。
その時はスリランカの人たちとは別れていたけれど
ステージ近くで私を見つけたスリランカ人が
「さっき一緒にいた人たちはみんなステージにいるぞ
おまえも行かないのか!」
と言ってきた。
すぐすっ飛んで行けば良かった。
でも、最後にビールを数本買い占めた私は
荷物が重たくてフットワークが完全に重たくなっていたのでありました....
年だなぁ(^_^;)
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